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zoom RSS 堀内誠一の世界(12) 安野光雅が語る堀内誠一

<<   作成日時 : 2011/10/05 18:29   >>

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    追悼   安野光雅

 彼は何もかもお見通しだった。

ちょうどオペラの指揮者のように、歌手やオーケストラの楽員それぞれの能力から個性までちゃんとお見通しだった。
歌い手や演奏者は指揮棒のままに心を動かしていくものだそうだが、とりわけ尊敬する指揮者に従うことは、まるで魂を預けたような快感があるものだと聞いた。

 アートディレクターとしての彼にしたがえば、それぞれの個性をきちんと認めてタクトをふってくれた。そして彼の式に対する不満を私は一度も効いたことがない。

 ある編集者がいつか「『堀内さんは、私』と、みんなが思っていた。」と言ったことがある。

これは「自分のことを一番よく理解し、ほんとうにわかってくれているのは堀内さんだけだ」という意味だ。つまりだれもがそう思っていたということになる。

では彼はいかにも八方美人風にだれにでもお上手を言っていたのかというと、そんなことは無い、むしろ口は悪いくらいで、批評すべきことはちゃんと言っていた。

ただその批評が的を射ているために、言われたものがこころから納得するのだった。だからみんなが彼にほめてもらうというより、むしろ彼の批評の言葉をまるで詩を聞くときのような気持ちで聞いていた。

 彼は優れた指揮者がそうであるように、決して人間を選好みしなかった。

『堀内さんは、私』という思いいれからすると、だれにも優しい理解をしめす彼を、すこしはいぶかりそうなものだが、それでも『堀内さんは私』だった。

 お酒をのむときなんか、だれでも彼の隣にすわって、彼の口からでる言葉を聞きたがった。

そんなときの堀内さんの言葉を詩のようだ、と言ってしまえばみもふたもないが、まれに見る感性の言葉は詩とでもいうほかがないほど、しみじみしていたり、おかしかったり、はっと思わせられたりしたものだった。

私もすぐ隣で話しを聞きたかったのに、『堀内さんは、私』と思っていたみんなに遠慮して、わざと離れて聞き耳をたてていたものだ。

 『バリからの手紙』の編集の話しがあったとき、わたしは一所懸命探したが、どこにしまいこんだのか、たくさんあるはずの手紙がどうしても出てこなかった。

で、……まあいいや。わざと聞き耳をたてる立場になろうと思うしかしかたがなかった・ところが彼が亡くなってから、全部ではないが五通ばかり出てきた、いまとなってはほりだしもののその手紙を追加していただくようにお願いしたい。

 「パリからの手紙」はそのどれを読んでも、彼の話しぶりが伝わってくる。それはちょうどワインを手にしたときの語り口のように、実に惜気もなく書かれていて、書きなおしも消したあともない。

だから、どんな文学作品よりも心にしみる、それはそうだろう、これは個人宛の手紙で、不特定多数を相手の文学ではない。読まれる当てのない文学にくらべて、手紙は必ず読まれる。

しかし自分以外の人に宛てた手紙でも心にしみる。それは「ゴッホの手紙」が文学であるのと同じ意味で、文学になっているからであろう。

文学、つまり共有の財産になっても『堀内さんは、私』という気持ちが消えないのも不思議である。「ゴッホの手紙」を自分宛の手紙と読んでも罪はないのに似ている。

 彼を指揮者と見るなら「パリからのが見」はシンフォニーだとは思えないだろうか。

あるいは『堀内さんは、私』とイウオペラだとしてもいい。彼を知らぬ人にまで、その音楽は伝わっていき、フランスに暮らした一時期の彼の思い出が決して消えないものになるのだと……。

         『パリからの手紙』  堀内誠一 日本エディタースクール出版部

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